Tiffany.J『孤独人間解放』

死ぬまでに友達できたらいいな…

地獄沼の狂気 ーパニック発作の実況ー

どれだけ叫び声を上げようと誰一人助けに来ないような山奥の密林

太陽は一日中昇らず

半径2mほどしか見えないくらい暗いか

または、視界が全く開かないほど真っ暗闇かしかない

動物の気配すらない不気味な空間

 

そこにひっそりと佇む底なし沼

水は腐り、冷えきっていて、

無音の中にも「動物達を皆滅ぼしてやった」と言わんばかりの圧力に満ちている

空気は淀み、酸素が極端に薄い

息ができない

吸っても吸っても足りない

 

首から下は水に浸かっている

激しく藻掻いて辛うじて鼻と口だけ必死で水面に出してはいるが

手足の先から頭、唇に至るまで全身が痺れている

とっくに血の気なんか引いていて体温と水温の差はなくなり

体は体温を上げようと大きく痙攣させ続けるから

急激な消耗を余儀なくされる

 

無情にも沼に渦が巻き始める

渦は待ったなしで加速しみるみるうちに遠心力を増していき

何度も何度も水中に吸い込まれる

自分の体のコントロールを奪われ一切の自由を失う

そうなれば呼吸すら思うようにできない

後頭部側の脳から順に血流が滞っていく

雷鳴のような動悸は1秒間に2回の勢いで全身を打つ

 

苦しい、怖い、焦る……このままだとどうにかなってしまいそうだ!

死んでしまう!!

 

しかし、脳内には冷静な部分も残っているのだ

僅かに残った正気がフル回転し、この状況をどうにかしようとしている

 

猛烈な苦しみと闘ううちに、意識と身体が離れ始める

やがて、ベッドの上で歯を食いしばりシーツを握りしめ体全体を大きく振動させながら

「助けてー!助けてーっ!!」と泣き叫ぶ自分の姿を

天井から眺めている自分に気づく

 

 

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地獄への道程

一人で生きるための身体的機能が先天的に欠落していた私は

自ずと周囲に頼らざるを得なかった

生まれた時から周囲の医療的看護的助けがないと即死という状況だったため

必然的に他人の心を読む癖がついた

 

自分の存在が常に親の負担になっている

親の言動の端々から伝わってきた

両親の性格もそういう感情に拍車をかけていたと思う

 

母親は自分が一番大変だと主張し

他人が切り出した話題でも乗っ取って自分の苦労話につなげる人

 

父親は「○○しないと■■してやらないぞ」と

脅しと交換条件で自分の言うことをきかせる人

 

こう書くととんでもない夫婦を想像されるかもしれないが

優しく真面目で社交的で面倒見も良い、世の中ではかなり善人に見られる人達だ

 

戦後のベビーラッシュ世代であり

戦争を生き抜いた祖父母に達の育て方や社会の常識は

私の世代とは全く異なる

それでも激動の時代に何とか自分をアップデートしてついて行こうとしている方だと思う

 

だから、

自分たちは正しく生きようとしているし正しく生きてきたと思っているわけで

先程の言動は無意識にしてしまっている人達なのだ

 

本当の毒親は自分が毒を持っていると気づいていないものだし

子どもは毒親だと気づく余地すらない

とにかく自分が悪いのだと思うし

嫌われてしまったら具合が悪くなった時に助けてもらえないかもしれないという恐怖感が常に先立ってしまうようになった

 

結果、対人関係でどれだけ嫌な気持ちになった時も

自分は迷惑をかける方の人間だからと

相手の心の動きを瞬時に察知しようとアンテナを張り巡らせ

相手の気分をできるだけ損ねないように発言や立ち回りを変化させ

そうやって細心の注意を払いながら生きる人生になった

後の検査で所謂ギフテッド2Eと呼ばれ

IQ特にEQ(感情面、共感能力)が飛び抜けて高いことがわかった

 

そのせいか保育園に入園した時から

他の子達はなぜこんなに人の気持ちがわからないのかといつも疑問に思っていた

自分が他人がどんな気持ちかを察するのが当たり前になっていたからだ

 

これは特殊能力ではなくて一種の統計学のようなものだと思う

他人の気持ちの事ばかりを考えているから

年を取るほどそれに関するデータが蓄積されていくのだ

 

10代になるとデータは膨大になり

他人の思考と自分の思考が重なるような感覚で

手に取るようにわかるようになった

 

昨日の記事にも書いた紛れたいのに目立ちたい

マジョリティに合わせて自分の脳を自由自在に変えていけるようになったのだが

だからといって自分が唯一無二の存在であることも主張したいから

脳は自己を否定しマジョリティに同化できても行動は制御しきれない

 

そうなると非常に人生が苦しい

そして19歳のある普通の朝、私は精神的な限界を迎えてしまった

自分に何が起きたのか全く分からないほど何の前触れもない突然の出来事だった

 

今ならわかる

マイノリティが重複した個性を押さえつけてマジョリティに身を隠そうとしていたために

外に見せる自分と本当の自分の乖離が限界に達した瞬間だったのだ

 

そこから私の人生は徐々に暗黒に引き込まれ

30歳からの10年間は真っ暗闇の底なし沼で溺れるような地獄の苦しみを味わった

 

 

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マジョリティに潜む危険

ここ数日考えていたのはマジョリティについて

 

生まれたら必ず死ぬと私達は知っている

だから、自分の存在が消える時が来ることを常にどこかで意識している

だからこそ、危機管理ができるわけで

危機を回避するためには一人でいては危ないので集団の中に入ろうとする

より大きな集団の方が攻守共に有利だし弱い自覚がある人ほどその中で紛れたいと思う

つまり、多数派・マジョリティに身を置きたいと思うのは当然のことだ

 

ではマジョリティとは何か

それはカテゴリーや見方によって違って無数にある

非常にぼんやりとした集団だ

自分がマジョリティに入れているのか確実な確証は何もない

誰もがある方向から見ればマジョリティだし

またある方向から見ればマイノリティだ

 

仮にマジョリティに自分が身を置いたとしても

自分の生存に関する”不安感”は完全に拭い去ることはできない

つまり、どこまでいっても不安感とは共存しなければならないのだ

 

マジョリティに身を置きたいと思う一方で

人間は自分という唯一無二の存在を認められたい

紛れたいのに目立ちたい

相反する願いを並行して叶えようとしている

 

誰もが持っている不安感から自分だけは逃れようと

マジョリティを追い求め

マジョリティを正解と錯覚し

マジョリティの中にいる人が言いそうなことを言う

意識的であれ無意識的であれ、こういうことを皆やっている

 

芸能人というのはその最たるもので

大勢の人気と支持を得てマジョリティの先頭に立ち

同時に自分の人格や才能を特別視してもらおうとしている

芸能の始まりは民衆や下層者の代弁者的要素が強かったのだろうが

現代は全員とは言わないが真逆のものとなっているように思う

 

テレビの中やSNSの中の世界は

マジョリティに強くこだわっている人の表現の場

自分はマイノリティだと主張していても

マジョリティにこだわっているから主張するのだし

得体の知れないマジョリティの強さを感じているから主張している

私もその中の一人なんだと思う

 

マジョリティに身を置こうと

マジョリティに反抗しようと

結局は自分の存在に対する不安感は大して変わらない

死という結末は変わらないのだから

 

実質問題として

その時々でマジョリティの枠を探しその中に身を隠せば

危険をかわせるかもしれない

しかし、マジョリティを隠れ蓑にし過ぎると

自分の個性を押し殺してしまう

身の安全を第一に考えるならばそれでいいかもしれないが

幸せや幸福感を得たいと考えれば自ずとマジョリティが足枷になる

マジョリティと実態の差異が自分の首を絞める

 

マジョリティの中を彷徨い続けていると

自動的に自分個人より亡霊的な多数派に意見を寄せてしまい

そのうち自分の意見を持つことを放棄してしまう

本人達は自覚していないかもしれないが

考えることを諦めている人を私は数多く見てきた

そういう人達は共通して責任感が著しく欠如している

 

何か問題や衝突が起きた時

「みんながやっているから自分もしただけ」

「自分だけではないのになぜ自分が責任を取らなければならないのか」

「責任者は自分ではない」と

必ず言い出す

 

それはまさしく

自分の頭で考えずにマジョリティに合わせて無責任に行動した結果であり

マジョリティに扮した人間であった証拠そのものなのに

 

マジョリティに無条件に自分を合わせることは

実は自分の身を危険に晒しているということなのだ

 

今、暴露系YouTuberが話題だが、

暴露によってマジョリティから弾き出された芸能人はその顕著な例だと思う

上手くマジョリティに扮しマジョリティの先頭で商品として扱われてきたけど

実態は思考停止状態で罪を犯したり人権を無視した行動を繰り返したりしていて

問題の対処や責任から逃れようとする

理想的なマジョリティの象徴とはかけ離れた人物だったということだろう

 

そうでなければ

自分の確固たる意志を持って行動してきたのならば

正々堂々と説明し、今後も何の後ろめたさもなく生きていくことだろう

 

 

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人間を選別する公教育

0歳児を健常児か病児かで区別し

4歳児を健常児か障害児かで区別し

就学児を知能検査で学校や学級を区別し

義務教育修了生を偏差値で区別し

高校卒業生を経済状況で区別し

成人を病気の有無、信条、思想、精神状態などで区別する

 

徐々に区別を繰り返し、人間を選別していくのが今の日本の公教育だ

 

個人に合わせた教育をするためというのはただの詭弁で

面倒な人間は一ヶ所にまとめて面倒を見ようというのは誰の目から見ても明らかだ

 

本当に個人に合わせた教育をというならば

教員を増員し、質を高め、職務内容を授業と生徒指導のみにし

教員一人当たりの担当人数(学級)をせめて10人にはしなければならない

 

その他にも

学校の役割、教育課程、教科、職員構成

教育委員会の在り方、果ては文科省文科相の職務まで

根底から大改革が必要だ

 

これは10年間教員として勤務した私が

今までもこれからも変わらず主張し続けるであろう私見

 

 

日本は軍国主義の軍隊式訓練教育から未だに脱していない

 

戦後の日本は産めや増やせやで

子どもに対して教員が足りなかったから

子ども50人に教員が1名という形になり

そうなると大人とはいえ50人相手では

軍隊の教官の如く、強く怖く威厳を撒き散らすように振舞い

わからない子どもはどんどん取り残されていったのだろう

 

自分の子ども1人2人でさえとんでもない労力を要するのに

他人の子どもを50人も育てることなどできるはずがない

 

そうやって

区別し選別を重ねて生き残っていくサバイバル形式で育つのは

差別の視点なのだ

 

できない人間は大事にされない、蹴落とされていくと学んでいき

足手まといな人間や鼻につく人間を集団から外していくのが常識になっていく

 

できない人間を集団から切り離すことでは何一つ解決しないし

個人も集団も社会も育たない

互いに助け合う心も技能も構築されない

 

現在のマジョリティが正義の社会は

戦後公教育の負の遺産だと思う

 

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心が不自由だ

田舎は噂が広がるし、決して忘れられない

病気で生まれてきた子、体が弱い子、手術した子……

 

私を見る人は皆、

「可哀想に」と言った

親戚中、近所中、40歳を過ぎた今でもそう言われることがある

 

私には

「不幸決定の人生だね」

「人間として不良品だね」

毎回そう言われている気分だ

 

それらの言葉は呪いの暗示のように

「私は不幸な人間なんだ」

「私は人間失格だ」

そう脳に刻み込まれ、何をするにも私の意志を内側からぶち壊す

 

 

同時に私よりも重病な方や障がいが重い方に会った時

反射的に「可哀想に」と思わせる

 

自分がその方のような状態になったら

これ以上不幸になってしまうのだろうな

さらに可哀想だと同情されるのだろうなと連想してしまうからだ

 

大きなお世話だ

 

自分が生まれたままの姿を認められなかったからといって

他人がそうなるとは限らないし

ましてや不幸かどうかは本人のみが決められることだと

私自身が一番強く思っているのに……それはただの傲りでしかないのに……

 

 

「共に生きて行こう」

そう言ってもらえるだけでいい

 

「この人はこのままでいい」

この体が生きている事実を認めて

存在できる場所をもらえるだけでいい

 

 

今まで生きてきて私は焦っていない時間はひとときもなかった

「このままではダメだ」と

常に何かをできるように、自分を一刻も早く変えなければと

自分を追い立てるようにして生きてきた

 

生きる場所がない

行き場がない

このままで生きていてはいけない

不幸だ

惨めだ

 

自分の目に映るもの全てが恥ずかしかった

自分の体や性格はもちろん、

家族、親戚、家、生まれた土地、持ち物、友達、学校…とにかく全て

 

体だけでなく心も不自由になっていた

 

 

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闇を深くする罠

反ワクチン団体を家宅捜査したニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/87bff5ec008a0abee0d311d61c7cf47a64a9b403

 

人は社会から切り離された時

社会を悪者にして恨むことで何とか自分を支えようとする

 

そのための根拠、つまり背中を押してくれる材料として

社会に受け入れられていない考え方や思想に注目してしまうことがある

 

広く受け入れられないには

「真実ではない」「科学的根拠がない」など

明らかな理由があるのに

それすらも社会が悪いという理屈にして

「少数の限られた者だけが知っている真実」などと信じきってしまう

 

私も社会的に死んだと思った時期、

スピリチュアル界隈の本を読み漁ったり

関連商品を購入したりした

 

なまじ理解ができてしまうが為に

その通りだと思ったし

心救われた気分になったが

結局それらは弱った人間を喰いものにしている

 

冷静になれば

誰もが身に覚えがあることや

誰にでも当てはまることを

大袈裟に言っているに過ぎない

 

普段は取り立てて深く考えたことがないから

変に納得してしまうのだろう

 

それに孤独人間は

プライドや壁を取っ払って相談する人や助言してくれる人がいない

だからおかしい思想に取り憑かれても周りは触らず逃げていくだけ

自分が正しいと意固地になって

一人闇を深くする

 

そんな人間が自分の存在価値を社会に認めさせようと暴走する姿を見るのは辛い

私は医療に救われているから反ワクチンではなかっただけで

私がたまたまその思想に嵌まらなかっただけで

私は居住地や体調不安の理由でできなかっただけで

そうなっていたかもしれないと思うから

 

初めから多様な人間が存在価値を認められる社会なら

他人に自分の考えや存在価値を訴えたら強要する必要もなくなるんだ

 

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孤独人間の化けの皮

私は常に化けの皮を被って生きてきた

言葉として嘘をついているのとはちょっと違うかもしれない

態度として虚勢を張っていると言った方が近いと思う

 

文字通り”裸を見られた”ら全世界から笑われる気がしていたから

相手にもされず一生見下される気がしていたから

 

「本当は凄いのに体が悪いせいでできないんだ」と

ムキになって全身で訴えていた

 

元気なふりをしたり

頭がいいふりをしたり

性格が良いふりをしたり

といったごく単純なものから

 

学校カーストヒエラルキーの優位性を表したり

他人とは違う才能があるとアピールしたり

小さな特技や功績を誇大に鼻にかけたり

自分の周りの人間を自慢げに語ったり

といった拗らせまくりなものまで様々

 

今見えているのは本当の姿ではない

こんなこともできる、こんな能力がある、こんな栄光も持っていると

訳アリの闇をチラつかせて人を惹きつけようとしていた

 

いつ化けの皮が剝がされるのか

実はみんなには”裸”が見えているのではないか

常に怯え人間不信に陥りながら……

 

なんて嫌味で滑稽で卑怯でバカバカしい人間なんだろうと

自分でも心の底から自分を軽蔑し嫌悪していたのに

自分が存在することへの罪悪感から

なんとか自分の存在価値や利用価値の幻想を見せようと必死だった

 

自己肯定感なんて1ミリも育たなかった

自分全否定、自分アンチ……

 

家族を含め自分以外の人間に見せる強くて賢くて堂々とした自分と

情けなくてみっともなくて一人で藻搔き苦しんでいる自分

二重人格のような対極を恒常的に行き来して使い分けて生きていた

 

でもとにかく

「私と一緒にいればこんなにいいことがあるよ」

「私と仲良くしたらこんなに誇らしいよ」って虚構を構築していないと

 

一人では生きていけない体は

他人に大事にしてもらえなければ

夢を叶える前に一瞬で命が消えてしまうから

 

 

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マジョリティ社会が”恥ずかしい体”を生み出す

うちには私以外に体に傷を持った人間はいなかった

保育園でも私以外に手術痕のある子はいなかった

小学校でも私以外に水着から切開痕がはみ出ている子はいなかった

中学校でも私以外に隠せぬ傷痕に修学旅行の浴場で半泣きになる子はいなかった

高校でも私以外に変色した皮膚が透けることを気にする子はいなかった

大学でも私以外に体の傷を理由にデートを怖がる子はいなかった

 

 

私は私以外に同じような体で困っている人を知らない

情報としては知っていても私の周囲にはいない

 

健常者、健康な人間だけに区切られた社会の中で生きてきたから

私だけが恥ずかしい体だった

 

支援学級、支援学校、作業所……

 

そうして区切った方が

”全面的に面倒を見ている健常者”は楽かもしれない

 

そうして別世界にいた方が

”自分らしく生きられる”と病人や障害者は言われてきたかもしれない

 

どう考えても

みんなが生きやすいように社会の方を整備する必要があるのに

 

誰だって病気になる

誰だって障害を負う

 

病気になったら障害を負ったらここにはいられない社会に未来はない

 

病人や障害者は何の役にも立たず世話になってばかりなのか?

障害を持った子どもの寝顔を見て癒される健常の親はいるでしょう?

病気を患った友人に何かを相談することもあるでしょう?

 

病人だって障害者だって役立たずではないし役立たずにしてはいけない

 

 

自分より大変そうな人間を見て安心したいわけではない

そういう人を見るのは辛くて嫌かもしれない

 

でもそう感じるように仕立ててしまっているのはマジョリティの社会だ

 

 

この世界には本当にいろんな人が生きてる

それを当然の現実として肌で感じられる社会の中にいれば

自分の体を恥じながら生きるなんておかしなことがなくなるだろう

 

 

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虚構人生の始まり

生物として最も大事な栄養を摂り入れるという機能を持たされず生まれた私

生きるために生涯消えることのない傷を体中に負った

 

「命を助けてもらったのだから感謝して生きろ」

「同じ時期にNICUにいた子の中には生きられなかった子もいたのだ」

「助けてもらったたくさんの人にありがたく思いなさい」

そうしつこく言われて育った

 

「どのような体でも構わないから産んで欲しい」と

私がお願いしたわけではないのに……

両親の本能とエゴで生まれ生かされた命ではないのか?

こんな体、今すぐにでも放棄したい

 

幼児期にこんなことを考えている人間はどれだけいるのだろう

 

 

生物としての機能的にも

女性としての外見的にも

誰より最低最悪な体

それでも生きていくしかない

 

最低最悪な人間に生まれたのだから

ここから最高な人間になってやりたい

 

人々に憧れ、羨ましがられるような

この世の全ての幸福を味わってからでないと人生終わって堪るか!

死にたくない!死なない!

 

幼い幼い心が決意した

 

でもこの体ではダメだ

最高な体が欲しい

 

健康な体、美しい美貌、モデルのようなスタイル

これだけ持てば確実に人生が変わることは幼心でもわかっていた

それに金銭的な余裕と学歴があればさらに良いと

 

しかし実際は食事すら命懸けで虚弱で体力がなく

全く思うように体が動いてくれない

それどころか次々に病にかかって入退院の繰り返し

 

 

私は最高な体を構築していくことさえできない

 

最高な体を得られないのなら……そう思わせればいい

 

自分も他人にも「この人は凄いのだ」と

 

 

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孤独人間の敗因

人間は自分達が思うほど進化していないのかもしれない

確かに技術は目覚ましい進歩を遂げてきた

しかし、精神はある程度脳が進化してからそれほど進歩していない

そう思い知ることが増えた

 

「自分磨き」「自分探し」

「自分とは?」「幸せとは?」

「生とは?」「死とは?」

「愛される方法」「モテる方法」「儲かる方法」

 

答えのない問いに人生の大半を費やし

曖昧な情報に飛びついてしまう

 

物心ついた時から私は「自分」という存在と闘ってきた

それはある意味死闘といえるほど過酷な道のりだった

 

「何のために私は生まれたのか?」

「人間だけが進化した意味とは?」

「宇宙は、地球は、私は、なぜ誕生したのか?」

「なぜ生まれ、なぜ死ぬのか?」

「死んだらどうなるのか?」

 

気が付いた時には既にそんなことばかり考える子どもだった

人生の全てが疑問符だらけで目の前の現実に身が入らなかった

 

森羅万象の、生命の、宇宙の

基礎基本を何も知らずに生きて行けるはずがない

ゲームのルールも操作方法も何一つ知らず

命を失う失敗は一度たりとも許されない無理無謀な闘いを強いられている

 

せめてルールや操作方法くらいは教えておいて欲しい

原理や目的を知らなければ納得できない

 

宇宙というものが、生命というものが先に存在していて

人間は自分の体について何も把握していないのは

何と言うか、順番が逆な気がした

 

どんなに頑張ろうといつか死んでしまうなんて

全てが無駄な気がした

 

何一つわからないまま時間だけが過ぎ死期が迫ってくる

 

幼い頃からそんなことで頭がいっぱいだなんて

なんて無駄な時間を過ごしているんだ

それは無意味な闘いだ

今を楽しんだ方が良い

今できることを精一杯した方が有益だ

そんなことは私自身が一番わかっているしそうしたい

そんなことばかり考えているせいで底知れない恐怖感と不安感に精神を冒されたのだから

でもどうしても切り替えられず疑問を解消しなくては先に進めないのだ

 

先天性疾患を持って生まれ

生きる希望がほぼなかった

感染症や大病を繰り返し

常に私の体は生死の境を彷徨ってきた

いつ堕ちるかわからない崖っぷちを命綱もなく独りで歩いている感覚だ

実の親にすらこの苦しさと恐ろしさはわからないだろう

 

この体から逃れたかった

この体を捨てたかった

 

自分は食事すら命がけなのに

他の子ども達は皆元気に何も考えず走り回っている

 

自分は体中傷だらけなのに

親の体には傷がない

プールで裸にされたら他の子ども達にも傷一つない

大人も子どもも皆一様に私の体を見て悍ましい表情を浮かべる

 

生まれ変わりたいのではなく

この苦難を味わった自分の意識を保ったまま別の体を手に入れたかった

 

不平等なこの世界が

その元凶であるこの体が

どうしても赦せなかった

 

別人になりたいと望んだことが

私の人生を根底から狂わせた

 

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