Tiffany.J『孤独人間解放』

死ぬまでに友達できたらいいな…

地獄の沼に架かった天使の梯子

地獄の底なし沼で溺れたまま5年

「この先の人生、今以上辛く苦しいことはない」と確信したあの時

水面の上と下を行ったり来たりしていると

視線の先に天使の梯子が架かっているのが見えた

 

薄明光線とも呼ばれるそれは

その名の通りぼんやりとした並行な筋で

本当にあるのかないのか不確かだった

 

それでも私はその梯子を昇ることにした

一縷の望みなんてものじゃない

気づいたら必死で昇っていた

そんな力がどこに残っていたのかわからないけど……

 

着替えるだけで日が暮れた日もあった

玄関ドアを開けようとした途端に動けなくなった日もあった

家から10m歩いただけで体が勝手に引き返してしまう日もあった

 

激しい動悸で息が乱れる

血の気が引き体中が痺れる

強い不安と恐怖に脳が支配される

 

住宅街と市街地を分けるように流れる道路を渡れず泣きながらUターンした日もあった

建物2階以上には行けなくて1階をうろうろする日もあった

レジ待ちの列に並んでいる間にダメになって商品を置いて帰った日もあった

 

幼かった息子に我慢をさせてしまったことも数え切れない

ファミレスで料理を待つ間に発作が起きた日もあった

遊びに連れて行く途中で発作が起きた日もあった

行事の途中で発作が起きた日もあった

 

行き先は病院の傍だけ

公共交通機関は使えない

遠出はできない

 

短時間の拘束も

少しの混雑も

家族以外と共に行動するのも

出口がわからない建物に入るのも

病院以外の場所も行動も全てが危険で危機的状況

 

予測不能の発作

予測自体が呼び水になる予期不安

始まったら止められない

 

これまでに救急車に乗った回数は片手じゃ足りないし

どうしても避けて通れない予定は注射と点滴を打ちながらこなしたし

情けなく惨めに泣きわめきながら人の中で働いてみたこともある

 

30歳を越えた大人が

幼い子どもを抱えた一人親が

かつて教師だった自分が

 

……プライドや世間体なんて木っ端微塵だった

 

辛い時に思い出すのは

「人間は過換気発作では死なないの!死ねないの!!」

という看護師の言葉

 

いつどの看護師に言われたか思い出せないくらい

錯乱状態の最中に脳に突き刺さった言葉

 

 

天使の梯子

近づけば近づくほど

昇れば昇るほど

その姿が見えなくなる

 

今、私はどれくらいまで昇ることができたのだろう?

天国まで、あとどのくらいだろう?

 

 

 

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孤独人間の詩

『生まれ』

自分の全てを 認められなかった

自分の何もかもを 受け容れられなかった

存在さえも

「あなたはその様な段階にあるだけ」

きっとそう言われるのでしょう

「別の次元かの如く言われたくはないのです」

と言ったとしても

あなたも理解できる時が来ますよ」

きっと肩透かしを喰らうのでしょう

"持って生まれたもの"

とは言えない人間もこの世には居るのです

"持たされて生まれたもの"

或いは

"奪われて生まれたもの"

としか思えない人間も居るのです

まさか

"あなたはその体、その環境を選んで生まれてきた"

そんな非道なことを言うつもりではないでしょう?

それで納得するとでも?

それで気が済むとでも?

最低最悪の暴力!

どうか あなたはそんな暴力を振るわないで

今にも崩れ落ちそうな 生と死を隔てる崖に

生まれた時からずっと 私は置かれているの

何とか何とか しがみついているの

 

 

『最苦』

「生きたい」と「死にたい」の狭間にいる者達

この世を去ろうと決めた者達

死に急ぐ者達

死期を察する者達

死を創り出そうとする者達

瞳を見れば伝わってくる心の壮絶

狭間は途轍もなく遠く深く苦しいが

その瞬間は

"ただそこにある線を越えるだけ"

きっとそんな感覚なのだろう

 

 

 

『自由への関与』尊い者順ー

自由を拡大する者

自由を解放する者

自由を体現する者

自由を尊重する者

自由を追求する者

自由を表現する者

自由を賞賛する者

自由を希求する者

自由を受容する者

自由を許容する者

自由を拒否する者

自由を隠蔽する者

自由を批判する者

自由を侮辱する者

自由を無視する者

 

 

『自由への行動』 尊い者順ー

自由を創造する者

自由を確立する者

自由を共有する者

自由を信用する者

自由を支持する者

自由を分与する者

自由を法化する者

自由を利用する者

自由を誤解する者

自由を嘲笑する者

自由を却下する者

自由を阻害する者

自由を強奪する者

自由を破壊する者

自由を消去する者

 

 

『ない』

この世に

完全なる善悪はない

完全なる正誤はない

完全なる有無はない

完全なる表裏はない

完全なる真偽はない

上下もない左右もない

内外もない端中もない

終始もない遠近もない

人間が創り出すものに

完全なるものは何一つない

人間が感じ取れるか否か

唯その一点に掛かっている

 

 

『攻撃』

攻撃をするのは

弱い人だよ

弱者ではないよ

弱さを弱点だと

思っている人だよ

 

 

 

『叫び』

家族だから私の面倒を見てくれる

その時孤独にならない為に

友人達は私と共に過ごした

結婚はその最たるものだった

私を選んだ人はいない

私も同じ

一人では生きられない体だからこの家族と居る

友達が私に興味を失い始めたら

私は永遠に離れる

私はまだ誰からも選ばれていないし

私も誰も選べていない

 

あなたに好かれたくはないの

あの人に愛されたいの

みんなに愛されたいの

あなたは私を愛さないで

私を好いてくれる人を嫌悪してしまう

私を地獄に誘う悪魔に見える

あなたに私の事はわからない

あなたに私を知られたくはない

そうやって私は独りになった

愛されたいと叫びながら

 

 

『私を簡単に選ばないで』

私がいて良かったと言う人はいないの

両親は私を産んでから如何に苦労したかしか語らないわ

こんな子が生まれてしまって自殺しないかとよく心配されたそうよ

私は存在自体が悪で害な自然淘汰された筈の命

切り刻まれた実験台

あなたの目を心を穢してしまう

 

 

 

『消せない』

人生の最も華やぐ時間を失った者達の慟哭は

一生涯止むことはない

なぜなら、比較の一切を断ち切るのは不可能だから

思い出は創り出せないから

大逆転劇を期待することも

諦め放棄することも

どちらにせよ結局は今を楽しめはしない

誰にとっても短くて未熟な日々なのに

 

 

『不条理』

誰のせいでもない事を抱えて生きざるを得ない者

違いは尊重されるべきと謳いながら

不都合な事はみんな辛いんだからと無視を決め込む社会

違っていいなら辛いと言い続ける者も受け容れてみて

「そうだよね」

この一言の共感で救われる者がいる

 

 

『実姿』

勝手に産み落とされた自分を受け容れるには時間が必要

だって自分の目に映るのは他人の姿だけだから

鏡に映る自分は生の姿ではない

なんて皮肉なのだろう

いくら自分が苦悩しながら生きていようが

周囲を見れば自分の対人価値が露わ

人生は脳というトリックミラーからの脱出だ

 

 

『脱キャラ』

結果や数字は正確に私を表してはくれない

ずっとそう思ってた

本当はもっとできるのにって

できないんだよ、できてない

認めたくなかっただけ

表面だけの多様化は無意味でしょう?

繕ったVR分身より生身の自分の幸福感を感じたいでしょう?

潔く認めろ、私

潔く留まれ、私

 

 

『有るか無いかわからないこと』

無いことを証明するのは難しいけど

だからと言って有ると決めつけるのもおかしい

ましてや

「自分にだけは有るとわかっている」と流布するのは

人々の一縷の望みにつけ込む卑劣な行為

騙されたことすら本人の不徳と嘲笑う

 

 

『マイノリティ』

寝ていることしかできない時もある

寝ているだけでも精一杯の時もある

寝ていることすら激しく辛い時もある

私はなんてひ弱な人間なんだろう

私はなんて怠惰な人間なんだろう

私はなんて迷惑な人間なんだろう

人生の一瞬一瞬で

私は私を責めるしかない

 

 

『永久挫折』

人生何もかもがうまくいかない

思い描いたことが

ことごとく志半ばでなぎ倒される

 

 

 

『私が根付く場所』

自分は普通ではないとわかっているから

私の脳は無意識に普通の人を観察し統計化し

予測できるようになったのかもしれない

決して多数派にはなれない人間なのだから

そろそろ諦めよう 多様性・共生社会は

自分を受け容れ認め赦すことから

それができた所が私の終の住処

 

 

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心が住所不定だ

私が生きていることがこの世界の不自然だと

サブリミナル的に脳に刻まれてきたためか

若い頃は「私はいつまで生きられるのか」と気にしながら生きていた

30代までは病気になる人自体が少ないし

周囲に私のような病人の気持ちがわかる人がいなかったから

(この歳になればあちこちに不具合を感じたり

病気を抱えたりする人もちらほら出てきたようだが……)

 

自分がどれだけ頑張って生きていても

「そんなことではダメだ」「普通になれないぞ」

そんな野次が内から外から飛んできた

 

目の前に存在する人は、いつも私を傷つける

私も私を傷つける

自己の存在を常に疑って生きている

だから、私は心の住所が不定

本籍地がない、故郷がないと言うべきか

定住した経験もない

座標上に私の心は存在しない

座標がないから軸もない

 

世の中では

”自分で自分を愛しましょう”

”自分で自分の価値を決める”

みたいな自己実現の方法だと言うが

自己肯定感の座標0が定まっていない人間にとって

自己愛で居場所を獲得し維持するのは非常に困難だ

数十年の人生で達成できればラッキーなことで

少なくとも私にとっては不可能に近い

 

だからといって

心の終の棲家を見つけたい、定住したいという願望は消えない

私も座標上に入れて欲しい

誰かによって座標の中に私を招き入れ、固定していて欲しい

誰かに私という人間場所を位置付けて欲しい

それが私の恋愛の意義なのだろうと思う

これまでの言い方に直せばマジョリティへの憧れだ

恋愛・結婚という人間の多くが所属する自然の摂理の中に

私の存在も組み込んで欲しいのだ

自分の人生なのに自分が主役のような気がないから

いつも蚊帳の外から他人を羨ましく眺めているだけだから

マイノリティから抜け出したい、連れ出して欲しい

 

その願うことは未熟で間違っていると

本心を否定したままとにかく他人に助けを求めるようにして手を伸ばした

結果、間違った結婚をしてしまった

 

もう傷つきたくないと

次は遠く離れた人を慕った

面識のない人は私の体も過去も知られることはない

その人に幻滅されることはない

私を傷つける可能性が低い

何も知らないからこそ、実生活に影響を及ぼさないからこそ安心できた

 

それではいつまで経っても孤独だ

実際に他人が誰も存在しない世界に生きているならばそれでいいが

他人が存在しているのに誰一人からも好かれず求められず

誰かを愛さず生きるのは自分から自然の摂理を拒んでいる

 

入りたいと願ってきたマジョリティという座標は

ぼんやりした霧みたいなもの

いくら探してもどこにもない

2点が繋がることで初めてお互いを位置付け、座標が生まれる

 

 

 

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死の先の希望

夜が来るのが怖かった

日が暮れてから日が昇るまで、毎日怖くて一睡もできなかった

 

土曜と日曜と祝日が怖かった

連休は入念な準備と相当な覚悟が必要だった

 

一人になるのが怖かった

同じ家のどこかに家族がいても不安だった

 

家から出るのが怖かった

準備はできても玄関のドアを開けられなかった

 

人に会うのが怖かった

予定が入った瞬間からプレッシャーでおかしくなりそうだった

 

死ぬのが怖かった

それより、生と死の狭間を彷徨うような、

まさに死闘の時間に襲われるのがもっと怖かった

 

19歳のある朝、突然の発作に襲われてから

一瞬たりとも頭から離れない、猛烈な苦しさ

 

もうあんな思いはしたくない

強く願っている

 

願えば願うほど恐怖と焦りは加速度的に膨れ上がる

悪循環を生み、次の発作を手繰り寄せる

 

焦燥感が人生を自分の足で歩む自信を徐々に奪い

歯を食いしばって手に入れた職から逃避を図らせ

愛を錯覚させ間違った結婚を招いた

間違った結婚は全てを狂わせ人生を破滅へと追いやった

職も家も人も財産も、僅かにあった健康も、全てを失った

 

それからは

発作のこと以外は何も考えられなくなった

発作が起きた場合のシミュレーションが脳内をヘビロテし

心も体も24時間臨戦態勢

 

30歳を過ぎた大人が

幼い子どもを抱えた母親が

ベッドの上で恐怖に怯え、ただただ一日中泣き伏すことしかできなかった

まともに眠ることも、お腹を満たすことも、浴槽に浸かることもできなかった

 

まるで爆弾を抱えているかのように

少しでも体を動かせば爆発を引き起こし

火だるまになってのたうち回る

 

即死よりも恐ろしい地獄の時が5年を超えた頃

「死んだ方がラクなのではないか」と思うようになった

先天性疾患で生まれたことで物心ついた時から死を恐れ

幾度に渡る大病も死にたくない一心で乗り越え

生きることに執着していた私が、死の先に希望の亡霊を見た

 

と同時に

「この先の人生、今以上辛く苦しいことはない」と確信した

 

全細胞で警報が鳴り響いていた私の体がスーッと落ち着きを取り戻すのを感じた

 

 

 

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地獄沼の狂気 ーパニック発作の実況ー

どれだけ叫び声を上げようと誰一人助けに来ないような山奥の密林

太陽は一日中昇らず

半径2mほどしか見えないくらい暗いか

または、視界が全く開かないほど真っ暗闇かしかない

動物の気配すらない不気味な空間

 

そこにひっそりと佇む底なし沼

水は腐り、冷えきっていて、

無音の中にも「動物達を皆滅ぼしてやった」と言わんばかりの圧力に満ちている

空気は淀み、酸素が極端に薄い

息ができない

吸っても吸っても足りない

 

首から下は水に浸かっている

激しく藻掻いて辛うじて鼻と口だけ必死で水面に出してはいるが

手足の先から頭、唇に至るまで全身が痺れている

とっくに血の気なんか引いていて体温と水温の差はなくなり

体は体温を上げようと大きく痙攣させ続けるから

急激な消耗を余儀なくされる

 

無情にも沼に渦が巻き始める

渦は待ったなしで加速しみるみるうちに遠心力を増していき

何度も何度も水中に吸い込まれる

自分の体のコントロールを奪われ一切の自由を失う

そうなれば呼吸すら思うようにできない

後頭部側の脳から順に血流が滞っていく

雷鳴のような動悸は1秒間に2回の勢いで全身を打つ

 

苦しい、怖い、焦る……このままだとどうにかなってしまいそうだ!

死んでしまう!!

 

しかし、脳内には冷静な部分も残っているのだ

僅かに残った正気がフル回転し、この状況をどうにかしようとしている

 

猛烈な苦しみと闘ううちに、意識と身体が離れ始める

やがて、ベッドの上で歯を食いしばりシーツを握りしめ体全体を大きく振動させながら

「助けてー!助けてーっ!!」と泣き叫ぶ自分の姿を

天井から眺めている自分に気づく

 

 

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地獄への道程

一人で生きるための身体的機能が先天的に欠落していた私は

自ずと周囲に頼らざるを得なかった

生まれた時から周囲の医療的看護的助けがないと即死という状況だったため

必然的に他人の心を読む癖がついた

 

自分の存在が常に親の負担になっている

親の言動の端々から伝わってきた

両親の性格もそういう感情に拍車をかけていたと思う

 

母親は自分が一番大変だと主張し

他人が切り出した話題でも乗っ取って自分の苦労話につなげる人

 

父親は「○○しないと■■してやらないぞ」と

脅しと交換条件で自分の言うことをきかせる人

 

こう書くととんでもない夫婦を想像されるかもしれないが

優しく真面目で社交的で面倒見も良い、世の中ではかなり善人に見られる人達だ

 

戦後のベビーラッシュ世代であり

戦争を生き抜いた祖父母に達の育て方や社会の常識は

私の世代とは全く異なる

それでも激動の時代に何とか自分をアップデートしてついて行こうとしている方だと思う

 

だから、

自分たちは正しく生きようとしているし正しく生きてきたと思っているわけで

先程の言動は無意識にしてしまっている人達なのだ

 

本当の毒親は自分が毒を持っていると気づいていないものだし

子どもは毒親だと気づく余地すらない

とにかく自分が悪いのだと思うし

嫌われてしまったら具合が悪くなった時に助けてもらえないかもしれないという恐怖感が常に先立ってしまうようになった

 

結果、対人関係でどれだけ嫌な気持ちになった時も

自分は迷惑をかける方の人間だからと

相手の心の動きを瞬時に察知しようとアンテナを張り巡らせ

相手の気分をできるだけ損ねないように発言や立ち回りを変化させ

そうやって細心の注意を払いながら生きる人生になった

後の検査で所謂ギフテッド2Eと呼ばれ

IQ特にEQ(感情面、共感能力)が飛び抜けて高いことがわかった

 

そのせいか保育園に入園した時から

他の子達はなぜこんなに人の気持ちがわからないのかといつも疑問に思っていた

自分が他人がどんな気持ちかを察するのが当たり前になっていたからだ

 

これは特殊能力ではなくて一種の統計学のようなものだと思う

他人の気持ちの事ばかりを考えているから

年を取るほどそれに関するデータが蓄積されていくのだ

 

10代になるとデータは膨大になり

他人の思考と自分の思考が重なるような感覚で

手に取るようにわかるようになった

 

昨日の記事にも書いた紛れたいのに目立ちたい

マジョリティに合わせて自分の脳を自由自在に変えていけるようになったのだが

だからといって自分が唯一無二の存在であることも主張したいから

脳は自己を否定しマジョリティに同化できても行動は制御しきれない

 

そうなると非常に人生が苦しい

そして19歳のある普通の朝、私は精神的な限界を迎えてしまった

自分に何が起きたのか全く分からないほど何の前触れもない突然の出来事だった

 

今ならわかる

マイノリティが重複した個性を押さえつけてマジョリティに身を隠そうとしていたために

外に見せる自分と本当の自分の乖離が限界に達した瞬間だったのだ

 

そこから私の人生は徐々に暗黒に引き込まれ

30歳からの10年間は真っ暗闇の底なし沼で溺れるような地獄の苦しみを味わった

 

 

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マジョリティに潜む危険

ここ数日考えていたのはマジョリティについて

 

生まれたら必ず死ぬと私達は知っている

だから、自分の存在が消える時が来ることを常にどこかで意識している

だからこそ、危機管理ができるわけで

危機を回避するためには一人でいては危ないので集団の中に入ろうとする

より大きな集団の方が攻守共に有利だし弱い自覚がある人ほどその中で紛れたいと思う

つまり、多数派・マジョリティに身を置きたいと思うのは当然のことだ

 

ではマジョリティとは何か

それはカテゴリーや見方によって違って無数にある

非常にぼんやりとした集団だ

自分がマジョリティに入れているのか確実な確証は何もない

誰もがある方向から見ればマジョリティだし

またある方向から見ればマイノリティだ

 

仮にマジョリティに自分が身を置いたとしても

自分の生存に関する”不安感”は完全に拭い去ることはできない

つまり、どこまでいっても不安感とは共存しなければならないのだ

 

マジョリティに身を置きたいと思う一方で

人間は自分という唯一無二の存在を認められたい

紛れたいのに目立ちたい

相反する願いを並行して叶えようとしている

 

誰もが持っている不安感から自分だけは逃れようと

マジョリティを追い求め

マジョリティを正解と錯覚し

マジョリティの中にいる人が言いそうなことを言う

意識的であれ無意識的であれ、こういうことを皆やっている

 

芸能人というのはその最たるもので

大勢の人気と支持を得てマジョリティの先頭に立ち

同時に自分の人格や才能を特別視してもらおうとしている

芸能の始まりは民衆や下層者の代弁者的要素が強かったのだろうが

現代は全員とは言わないが真逆のものとなっているように思う

 

テレビの中やSNSの中の世界は

マジョリティに強くこだわっている人の表現の場

自分はマイノリティだと主張していても

マジョリティにこだわっているから主張するのだし

得体の知れないマジョリティの強さを感じているから主張している

私もその中の一人なんだと思う

 

マジョリティに身を置こうと

マジョリティに反抗しようと

結局は自分の存在に対する不安感は大して変わらない

死という結末は変わらないのだから

 

実質問題として

その時々でマジョリティの枠を探しその中に身を隠せば

危険をかわせるかもしれない

しかし、マジョリティを隠れ蓑にし過ぎると

自分の個性を押し殺してしまう

身の安全を第一に考えるならばそれでいいかもしれないが

幸せや幸福感を得たいと考えれば自ずとマジョリティが足枷になる

マジョリティと実態の差異が自分の首を絞める

 

マジョリティの中を彷徨い続けていると

自動的に自分個人より亡霊的な多数派に意見を寄せてしまい

そのうち自分の意見を持つことを放棄してしまう

本人達は自覚していないかもしれないが

考えることを諦めている人を私は数多く見てきた

そういう人達は共通して責任感が著しく欠如している

 

何か問題や衝突が起きた時

「みんながやっているから自分もしただけ」

「自分だけではないのになぜ自分が責任を取らなければならないのか」

「責任者は自分ではない」と

必ず言い出す

 

それはまさしく

自分の頭で考えずにマジョリティに合わせて無責任に行動した結果であり

マジョリティに扮した人間であった証拠そのものなのに

 

マジョリティに無条件に自分を合わせることは

実は自分の身を危険に晒しているということなのだ

 

今、暴露系YouTuberが話題だが、

暴露によってマジョリティから弾き出された芸能人はその顕著な例だと思う

上手くマジョリティに扮しマジョリティの先頭で商品として扱われてきたけど

実態は思考停止状態で罪を犯したり人権を無視した行動を繰り返したりしていて

問題の対処や責任から逃れようとする

理想的なマジョリティの象徴とはかけ離れた人物だったということだろう

 

そうでなければ

自分の確固たる意志を持って行動してきたのならば

正々堂々と説明し、今後も何の後ろめたさもなく生きていくことだろう

 

 

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人間を選別する公教育

0歳児を健常児か病児かで区別し

4歳児を健常児か障害児かで区別し

就学児を知能検査で学校や学級を区別し

義務教育修了生を偏差値で区別し

高校卒業生を経済状況で区別し

成人を病気の有無、信条、思想、精神状態などで区別する

 

徐々に区別を繰り返し、人間を選別していくのが今の日本の公教育だ

 

個人に合わせた教育をするためというのはただの詭弁で

面倒な人間は一ヶ所にまとめて面倒を見ようというのは誰の目から見ても明らかだ

 

本当に個人に合わせた教育をというならば

教員を増員し、質を高め、職務内容を授業と生徒指導のみにし

教員一人当たりの担当人数(学級)をせめて10人にはしなければならない

 

その他にも

学校の役割、教育課程、教科、職員構成

教育委員会の在り方、果ては文科省文科相の職務まで

根底から大改革が必要だ

 

これは10年間教員として勤務した私が

今までもこれからも変わらず主張し続けるであろう私見

 

 

日本は軍国主義の軍隊式訓練教育から未だに脱していない

 

戦後の日本は産めや増やせやで

子どもに対して教員が足りなかったから

子ども50人に教員が1名という形になり

そうなると大人とはいえ50人相手では

軍隊の教官の如く、強く怖く威厳を撒き散らすように振舞い

わからない子どもはどんどん取り残されていったのだろう

 

自分の子ども1人2人でさえとんでもない労力を要するのに

他人の子どもを50人も育てることなどできるはずがない

 

そうやって

区別し選別を重ねて生き残っていくサバイバル形式で育つのは

差別の視点なのだ

 

できない人間は大事にされない、蹴落とされていくと学んでいき

足手まといな人間や鼻につく人間を集団から外していくのが常識になっていく

 

できない人間を集団から切り離すことでは何一つ解決しないし

個人も集団も社会も育たない

互いに助け合う心も技能も構築されない

 

現在のマジョリティが正義の社会は

戦後公教育の負の遺産だと思う

 

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心が不自由だ

田舎は噂が広がるし、決して忘れられない

病気で生まれてきた子、体が弱い子、手術した子……

 

私を見る人は皆、

「可哀想に」と言った

親戚中、近所中、40歳を過ぎた今でもそう言われることがある

 

私には

「不幸決定の人生だね」

「人間として不良品だね」

毎回そう言われている気分だ

 

それらの言葉は呪いの暗示のように

「私は不幸な人間なんだ」

「私は人間失格だ」

そう脳に刻み込まれ、何をするにも私の意志を内側からぶち壊す

 

 

同時に私よりも重病な方や障がいが重い方に会った時

反射的に「可哀想に」と思わせる

 

自分がその方のような状態になったら

これ以上不幸になってしまうのだろうな

さらに可哀想だと同情されるのだろうなと連想してしまうからだ

 

大きなお世話だ

 

自分が生まれたままの姿を認められなかったからといって

他人がそうなるとは限らないし

ましてや不幸かどうかは本人のみが決められることだと

私自身が一番強く思っているのに……それはただの傲りでしかないのに……

 

 

「共に生きて行こう」

そう言ってもらえるだけでいい

 

「この人はこのままでいい」

この体が生きている事実を認めて

存在できる場所をもらえるだけでいい

 

 

今まで生きてきて私は焦っていない時間はひとときもなかった

「このままではダメだ」と

常に何かをできるように、自分を一刻も早く変えなければと

自分を追い立てるようにして生きてきた

 

生きる場所がない

行き場がない

このままで生きていてはいけない

不幸だ

惨めだ

 

自分の目に映るもの全てが恥ずかしかった

自分の体や性格はもちろん、

家族、親戚、家、生まれた土地、持ち物、友達、学校…とにかく全て

 

体だけでなく心も不自由になっていた

 

 

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闇を深くする罠

反ワクチン団体を家宅捜査したニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/87bff5ec008a0abee0d311d61c7cf47a64a9b403

 

人は社会から切り離された時

社会を悪者にして恨むことで何とか自分を支えようとする

 

そのための根拠、つまり背中を押してくれる材料として

社会に受け入れられていない考え方や思想に注目してしまうことがある

 

広く受け入れられないには

「真実ではない」「科学的根拠がない」など

明らかな理由があるのに

それすらも社会が悪いという理屈にして

「少数の限られた者だけが知っている真実」などと信じきってしまう

 

私も社会的に死んだと思った時期、

スピリチュアル界隈の本を読み漁ったり

関連商品を購入したりした

 

なまじ理解ができてしまうが為に

その通りだと思ったし

心救われた気分になったが

結局それらは弱った人間を喰いものにしている

 

冷静になれば

誰もが身に覚えがあることや

誰にでも当てはまることを

大袈裟に言っているに過ぎない

 

普段は取り立てて深く考えたことがないから

変に納得してしまうのだろう

 

それに孤独人間は

プライドや壁を取っ払って相談する人や助言してくれる人がいない

だからおかしい思想に取り憑かれても周りは触らず逃げていくだけ

自分が正しいと意固地になって

一人闇を深くする

 

そんな人間が自分の存在価値を社会に認めさせようと暴走する姿を見るのは辛い

私は医療に救われているから反ワクチンではなかっただけで

私がたまたまその思想に嵌まらなかっただけで

私は居住地や体調不安の理由でできなかっただけで

そうなっていたかもしれないと思うから

 

初めから多様な人間が存在価値を認められる社会なら

他人に自分の考えや存在価値を訴えたら強要する必要もなくなるんだ

 

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