Tiffany.J『孤独人間解放』

死ぬまでに友達できたらいいな…

マジョリティという球体が創り出すまやかしの遠心力

社会構造はよくピラミッド型に例えられるがそれは違う

社会構造は球体だ

マジョリティ=ある人物

という集団の核となる中心的人物の周りに

その人物に似た性質を持つ人物が集合し

さらに周りを囲んだ人物達に似た性質の人物が集合し

そうやって球体を形成していく

中心人物を囲んで社会は回り

球体が大きくなるほど超強力な遠心力が備わる

 

マジョリティという球体の構成要素となり得なかった

社会的弱者、性的マイノリティ、貧困層

遠心力の効力から漏れるどころか

洗濯機の脱水の水滴の如く大きく外界に弾き飛ばされる

暴力で、暴言で、疎外で、詐欺で……

 

暴力に直接的に対抗する術は難しいとしても

その他の手段に対して私達は対抗することができ得る

その力を養うのが公教育

 

人類はありとあらゆる知識や技術を身に付けてきた

私達の人生は知識力と技術力に関しては先人が進めてくれた地点からスタートできる

しかし、精神力はゼロからスタートしなければならない

当然のようでこの辺りを勘違いしていることはよくあると思う

時代は進んでいるのに人類は同じ失敗を繰り返していると悲観的に語られるが

時代が進んだとて精神力は個人的成長なのだ

新人類だからと言って知識力と技術力のように自動的にバージョンアップはされない

 

弱者やマイノリティは

マジョリティという球体が創り出すまやかしの遠心力に騙される

弱者やマイノリティは

騙されまい、真実を見ようとして警戒する

弱者やマイノリティは

マジョリティの行動を見越して行動する

それは一見するとマジョリティに対抗しているようで

さらにマジョリティの遠心力の被害を拡大させることになってしまう

 

今話題に上がっている性的搾取を例にとれば

女性は性犯罪の被害に遭わぬよう夜の独り歩きを避ける

夜空を撮影するのが好きな女性は夜自由に出歩くのを躊躇う

その女性は自分の望みを曲げて我慢をすることになる

 

また、子どもの性被害を防ぐため

親は暑い日でも裾の広がった服を着せられなかったり

公衆トイレの使用時も気を遣ったりしている

子ども達は親に守られる場面は増えるが

自分自身で行動する自由は減っているだろう

 

もちろん、そうせねば身を守れないのだが

弱者やマイノリティはどんどん居場所や自由、権利を奪われてしまうのだ

 

現代の公教育は知識力と技術力以上に

実は精神力を高めることに大きな意義を持っていると思う

 

知識と技術は生活していれば勝手に身に付くものもあるし

現代においてはインターネット環境があれば

生活に必要な最低限度の情報をえることはできる

情報を得るための基礎力としての読み書き計算といった教育だけであれば

それほどの時間は要しないかもしれない

 

しかし、自己を生涯に渡って支える精神力を養うには

親と家庭だけでは身に付かない

他人の中に身を置き

自分と他人を共存・協働できるように練習しなければならない

自分の性質と似通った人の集まりではなく

公教育・教師が見守るセーフティーネットの中で

自分と性質の違う人達の存在を知り

自分自身の性質を自覚・許容・確立し

他人の性質を認知・尊重する

そういう精神力を養っていくには時間がかかる

それはインターネットの世界ではできない

セーフティーネットがないので精神力の育っていない人は一瞬で心が折れてしまう

 

公教育は時間も労力もかかるが

実際に他人の中で精神力を身に付けなければ

自分より強い者に、マジョリティの持つ強大な力に

生涯に渡って振り回され弾き飛ばされ続けてしまうのだ

 

教育はなぜ大事か?

現代における公教育の意義は?

 

その答えは、自分を自由にする力を身に付けるためだろう

 

 

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感謝を拒絶する孤独人間

「今日は母の日だから母親に何かしなくては…」

そう思える人は一瞬でも人生の中で幸福感を得たことがあるのだと思う

瞬間的にでも生まれてよかったと一点の曇りもなく感じた経験があったのではないか?

 

物心ついた時から両親は私に

繰り返し「感謝しなさい」と言った

私の命を助けてくれた医師に

輸血をしてくれた叔母に

そして、言葉には出さないが私という病児を産み育てた両親に

 

私はその”感謝”という言葉にピンとこなかった

何かをしてもらって「ありがとう」と言いましょうというのはわかる

でも感謝の強要に私の心は拒絶感を覚えた

私が決めるべき内側まで干渉されている気分だった

 

同様に、誰かが決めたきまり、いいこと、悪いこと

あらゆる身近な道理や常識といったものに対して

「そういうものなんだ」とすんなりとは受け入れられない子どもだった

そういう意味で私は両親や家族、今まで知り合った人達全員にとって

”偉そうな人間”だろうと思う

年配が決めたことだろうと昔からの風習だろうと疑問は引き下げないし

納得するまで考える質だ

さぞ小賢しい、面倒くさい、扱いづらい、そんな人間だと思われていることだろう

 

それは両親の無言の”感謝の強要”への拒否感から端を発しているように思う

そこから、正論というより

マジョリティや何も考えずしてマジョリティに従う人々への不信感や怒りへと発展していった

 

母親は如何に私の看病が大変だったか、

私を育てていることで毎日どれだけ気を遣っているか、

他の親子のようにいかない愚痴、

自分が母親の中でも一番苦労している類であること、

私のように重篤な赤ちゃんを産んでしまってショックで自殺しないかと心配されるほどだったことを語り聞かせた

生まれたことを申し訳なく思うほどに

その上、とても過干渉な人で何でも自分で把握し自分がやらないと気に入らない

過干渉が故に私の行動しか見えていない

私の内部を見て信用しようとはしない

いつになっても私の内部がわからないことに焦って

何をし出すのか、何をしていないのかとチェックする

母親は職を持っていたし、父親は仕事でほとんど家に居なかったから

仕事、祖父母の対応、家事、育児、そして看病を一人でこなしていた

田舎で運転免許もなく、苦労しただろうし、毎日疲れたことだろう

 

しかし、母親が

「こんな病児を持ってつらい」と思いながら育児をした期間

私はずっと死にそうな体を引き摺って生きてきた

私の人生は丸ごと病人であり、痛みと苦しみは生涯続く

私は産んで欲しいと頼んでもいないし

ましてや病気で生まれたくはなかった

病児の母親の気持ちはわからないが

病児自身の気持ちは母親とてわかりはしない

なんだかんだ言っても母親は健康で自分の好きな仕事をして人生が楽しそうだし

そもそも別の人間なのだからお互いわからないに決まっている

 

来る日も来る日も検査、また検査

何度も何度も全身麻酔をかけられる

起きたらどうしようもない怠さと吐き気

気が付けば胸も腹も背中も大きな手術痕

成長期にT字帯を穿かされる尿管カテーテルを入れられる

医師、看護師、検査技師…

相手が男性であろうと年齢がどうであろうと胸を晒さなければならない

点滴が入らなくなればパンツを脱がされ股関節にだって針を刺される

おかげで両手首、両足首、両股関節は傷だらけ

 

一人で泣きながら過ごす病室

チューブ、点滴、医療器具に繋がれベッドから動けない日々

他の子ども達が食べる物も遊びもレジャーもない

学校の友達がテレビを観ながら笑っている間

私に見える景色はカーテンに囲まれた白い天井

クリスマスは病院のサンタさんが配ってくれたケーキを

同部屋の子と泣きながら食べた

隣のベッドから聞こえる呻き声

夜中、近くの病室に医師が駆け込む音

その後に聞こえる家族の悲鳴のような泣き声

すすり泣く声と共にまた一人、また一人と地下へ運ばれていく

次は自分の番かもしれない恐怖

 

「感謝しなさい」と言われる度に

「お前に何がわかる!!」

そう叫び出しそうになるのをずっと堪えて生きていた

 

私は明らかに周囲の人間より生きることに苦労しているのに

感謝まで強要されなければいけないのか?

感謝をねだられればねだられるほど

自分達がつくった子どもの面倒を見るのは当然でしょう?

なぜ、心の中まで入ってくるの?

そうやって感謝というものへの拒絶は強くなっていった

 

言いたい気持ちをぐっと抑えて

何も考えていないフリをしてきた

親が悲しむから、怒られるから、

嫌われたら世話を放棄されるかもしれないから

私が生きていること自体が迷惑だと身に染みているから

わざと強がっておちゃらけて誤魔化して

自分の中で処理してきた

 

だから両親の前で私は最も性格が悪くなる

本当の純粋な私を両親には見せたくはない

 

祖父母が亡くなった時

こんな関係でなければちゃんと哀しめたのにと思った

両親が私より早く逝くならきっとまた同じことを思うだろう

 

それが虚構の自分を構築した理由だ

こんな悍ましく末恐ろしい正体と

いつ崩壊するかわからない本心を

自分自身で抑え、守りながら生きるしかなかった

 

 

 

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????????∞

性犯罪の話題を見聞きする度に

私の中で連鎖的に疑問が湧き上がる

(以下は私の脳内であり正解ではない)

 

Q.なぜ人間はその本来の姿である裸体を他人に晒してはいけないのか?

A.体・健康を守るため→答えになっていない

A.他人に生殖器を見られないようにするため

 

Q.なぜ他人に生殖器を見られてはいけないのか?

A.他人・異性に性的興奮を与えるから

 

Q.なぜ他人に性的興奮を与えてはならないのか

A.性被害に遭うのを防ぐため

 

Q.互いに性的興奮を覚えたとして

なぜ自由な時と場所で性行為をしてはいけないのか?

A.性行為に没頭したり妊娠出産期間が連続的になつたりして労働者(力)が減るから

 

Q.労働者が減って困るのは誰か?それはなぜか?

A.雇用者・国・自分・家族

お金が入ってこなくなるから

 

Q.その結果どうなったか?

A.仕事に支障がない時間に、閉じられた空間で性行為をするようになった

 

Q.それによって生じた問題は何か?

A.性犯罪がなくならないこと

 

Q.子どもがたくさん生まれて起きる問題は何か?

A.育児放棄・虐待

 

Q.なぜ育児放棄や虐待が起きるのか?

A.育児費用の不足

育児労働力(人手・知識・気力・体力)の不足

育児環境の悪さ 

望まない妊娠による出産

親子関係の悪化

国の制度の不備

 

Q.なぜ女性は性行為に対して慎重なのか?

A.女性は妊娠出産が自分に起こるから

女性は性行為をした時点で妊娠の有無という問題が発生して自由を奪われるから

 

Q.なぜ男性に性犯罪者が多いのか?

A.男性は射精が生理現象であり、排泄行為・月経の如く性欲を抑えられないから→答えになっていない

 

Q.性犯罪者の男性は自慰ではなく

なぜ女性に被害を与えてまで性欲を満たそうとするのか?

A.・・・

 

Q.男性は自分の遺伝子を残したいという望みから生物学的親子関係を重視しながら

なぜ育児に対する意識が低い人が多いのか?

A.自分が産んでいないから

性行為をしただけで満足だから

力仕事(稼ぐこと)が男性の役割だと考えているから

ぜーーんぶ答えになってないっ!!

 

 

性行為だけが男性の存在する意味ではないし

妊娠や性病が常態化すれば社会がパニックになるし

子どもは世話をしないと死んでしまうし

子どもが死んだら遺伝子は残らない

子どもが育たなければ社会が人類が滅びる

 

 

それなのになぜ未だに性犯罪や女性の育児の悩みが後を絶たないのか????????∞

 

 

私は小学生の時に性被害に遭ってからずっとわからないのです……感情や衝動というものと切り離して仕組みとして頭で理解しようとしても無理なのです

(もちろん男性が皆そうではないとわかっています)

 

教師と警察官は別人になれるのか

小学校中学年の時

同級生の中に担任教師の指示や質問にほぼ反応しない児童がいた

教員になってから振り返れば

学習障害自閉症スペクトラム障害の可能性があったのではないかと思う

反応しないのではなく反応できなかったのだろう

しかし、教師は毎日毎日𠮟りつけていた

「なぜしないのか」「なぜわからないのか」と

ある日の授業中、教師がその子を指名した

その子は俯いたまま体を固めて動かなくなった

そのまま数分が過ぎた時、教師の苛立ちが頂点に達し

顔を真っ赤にしながらその子の席の前に立った

教員は

「みんなに迷惑だから教室から出ていきなさい!」と言った

尚も微動だにしない児童に教師のプライドが爆発を起こしたのか

その子から机を剥ぎ取り、体ごと引き摺って廊下に放り投げた

その子は発狂したように泣きながら大暴れして教員と揉み合いになった

 

小学校高学年のある日

休み時間の雑踏の中に担任教師の怒号が突き抜けた

同級生の一人がふざけていて

肢体不自由の方の歩き方の真似をして周囲の笑いをとろうとしたのだ

教師はその児童を鬼のような形相で睨みつけ大声を張り上げながら一直線に走り寄ると

児童の脳天目掛けて鋭利な言葉を雷の如く刺し続けた

 

同じく高学年のある日

下級生の教室を通り過ぎた時、急に悲鳴のような声が聞こえた

中を覗くと教師が「うるせーんだよ!」と言いながら机を蹴り飛ばしていた

 

中学の時

授業をする教師達の声だけが響く授業中

廊下から青ざめた不穏な風が吹き込んできた

生徒のざわめきと机や椅子がぶつかり合うような音が微かに聞こえた

後で聞いたことだが

ある生徒の返事の仕方が気に入らなかった教師が突如キレて殴り掛かったのだという

「態度が悪い!」「ナメているのか!」と

生徒は血を流しながら謝ったが、何度も何度も殴り続けたらしい

 

高校の時

数学教師は生徒が質問をすると「話を聞いていないのか」と怒鳴り散らしていたし

化学教師は常に竹刀を持っていて、生徒が間違えると竹刀でそこら中を叩きながら怒り狂った

 

正規教員として初任で2年生を担任した時

学年集会で整列し体育座りをする子どもの中に脚を横に伸ばしている児童がいた

その児童の担任はそれを見るなりその子の足を叩き

「悪い足だ!」と言った

 

所謂荒れた地域の学校で勤務していた時

隣の中学校では生徒の校内暴力が日常化していた

教師が生徒に殴られる、リンチに遭うことはざらだった

教師が強く言えば放課後や卒業後学校の門前で待ち伏せし集団でお礼参り

そのおかげでケガや病気で長期休暇を取る教師が後を絶たなかった

会議で訪れた他校の校長が生徒に突然殴りかかられ大ケガを負うこともあった

配属されたら最後、まともに離任することはできない魔の学校と言われていた

私も小中連携などで年に数回訪れる際は一人にならないよう注意を払った

補充しても次々と入院者が出る状況に

学校は積極的に警察に通報する指針を決定した

校内には警察OBが配置された

予想通り相次いで補導者が出た

1年後、校内暴力はかなり減少した

 

教師が教師に戻っていく過程を見たような気がした

 

 

私自身も教員生活の中で子どもを強く叱ったこともある

 

 

教師は子どもの警察である必要はあるのか?

教師に児童生徒を犯罪者の如く扱う権利はあるのか?

 

学校内において子どもの行いを裁き、その上罰を執行する

人道や倫理を説くその口でその手で児童生徒に制裁を与える

集団をまとめるため、子どもを導くため

子どもが言うことを聞かないから、悪いことをしたから

 

もちろん教師にそのような権利はないし

どのような場合も暴力・暴言、脅迫、ハラスメントは許されない

しかし、子どもの体感として

教師は警察でもあり裁判官でもあり刑の執行人でもあるのだ

 

それまで穏やかな顔をしていた教師が鬼に豹変する

一度それを味わった児童生徒は教師に内在する鬼を恐れて行動するようになる

教師が暴走し出せば子どもには止められない

教師が間違っていても

友人を助ける術も知恵も与えられてはいないのだ

 

先日、あるYouTuberが

「警察が怖いからみんな言うことを聞く」と言った

大人でさえ”怖いから”法律やモラルを守っているのかと唖然とした

 

警察には法律に則って、それを犯した国民の権利を制限することができる

罪の代償として自由や権利を制限される意味に向き合わなければならないのに

今までの教育は警察そのものや警察の行為に対する恐怖心を叩きこんでいるに過ぎなかったのか

そうであるが故に法律を守っている人がいて警察から逃げる人がいる事実がある

 

確かに法律は声を出すことができる人の最大公約数だ

選挙とは投票所に足を運ぶことができた人の最大公約数だし

世論とは話を聞いてもらうことができた人の最大公約数だ

個人の善悪や利得とは完全に合致しないし

警察は法律からはみ出てしまった人間を問答無用に取り締まるのだろう

それが警察の職務であり、だからこそ日本の治安が保たれてきた

 

 

日本の”学校という治外法権の蔓延った空間”で

いじめという犯罪の発生をどうやって予防し、

加害者をどうやって指導し、被害者をどうやって救うのか

教師が教師の範疇を越える瞬間をどうやって予防するのか

 

 

いつになれば教師と警察官は別人になれるのか……

 

 

 

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孤独人間の覚え書き

大抵のいじめ加害者は自分が加害者となった始点を知らない

大抵のいじめ被害者も自分が被害者となった始点を知らない

なぜなら、加害者も被害者もマジョリティに擬態することに精一杯だからだ

 

 

 

私達は生まれた時から悪だった

既に人間は環境を破壊し、動物を掌握し、戦争で大罪を犯していた

偽物の己たるマジョリティの欲望のままに

見知らぬ先祖の行いのために常に十字架を背負って生きている

 

 

 

 

一人は点

二人が繋がると線

三人が繋がると面

パートナーというのは立体的で

思い出は体積みたいなものだと思う

 

 

 

 

進化は人類の錯覚

あるのは変化のみ

 

 

 

 

良かれと思って精神は”自称マジョリティ”の傲慢

自分はしてあげたのに他人も同じことをしてくれないと勝手に恨む

 

 

 

被害を受けた時

「自分にも悪いところがあった」と自分を納得させようとするのは

心のどこかで自分もマジョリティの一員だと思いたいから

対等に扱われたいと願う精一杯の強がりだ

 

 

 

 

共生社会になって困るのは健常者達

ペースを乱されたと感じるだろう

譲らなければならないと窮屈だろう

面倒を見ることが負担だろう

しかし、それは健常者達の幻想だ

生物は元から多様なのだ

これまで”生きやすい同類探し”を突き詰めた結果

結局そのようなものはないと気づいただけ

マジョリティには姿形はなく境目もない

一人の人間がマジョリティにもマイノリティにもなる

健常者が病人にも障害者にもなり得る

自分がどのような状態になったとしても

生きたい場所で生きられる社会を創っておくほうがいいに決まっている

 

 

 

 

1対1の関係にいじめはない

強者と弱者がコロコロと入れ替わるような場面転換はあっても

協力関係が常にどこかに存在する

 

 

 

 

曖昧なマジョリティとの闘いに勝利はない

勝利の瞬間は自分がマジョリティでありマイノリティであると理解した時に訪れる

 

 

 

 

あの子が称賛されていることを私ができるようになったとしても私は称賛されない

それはあの子がやるからいいのであってあの子自身の魅力だから

 

 

 

 

法律とは声を上げることができた人の最大公約数

選挙とは投票所に足を運ぶことができた人の最大公約数

世論とは話を聞いてもらうことができた人の最大公約数

 

 

 

 

生まれながらに病人で

生きるほどに障害を負った私が

国に助けてもらうのは

私の命もこの国の人口として数えられ

国としての低を成すための一端を担っているから

……とでも思い込まなければ人権というものを自分から放棄してしまいそうになる

 

 

 

 

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マジョリティもマイノリティも自他境界線を越えたがる

人間が攻撃するのは自分が生きていくため。

それがvs動物でも、vs人間でも。

食欲を満たすためなのか、睡眠欲(心身の安全安定)を満たすためなのかの違い。

まさに弱肉強食。

生きるためには強く、大きく、多勢でいなければならない。

人間同士では自分に脅威となる存在を牽制する。

人間同士の脅威とは何か。

それは”違い”だ。

自分と同じだと安心する。違うと不安になる。

違いはマジョリティ(多勢・集団)から弾き出されるかもしれない危機だから。

マジョリティから弾き出され自分一人が目立ってしまうと

それまでマジョリティの中で紛れていた自分の存在・姿が露わになってしまう。

物質的にも精神的にも一気に危険に晒されるのだ。

 

そういう意味で社会的弱者は同じような社会的弱者の完全な味方にはなり得ない。

心の中では痛いほど理解し共感できる。

しかし、実際に自分を晒し、身を挺し、自分の労力や財を投じて

自分も同じ仲間だと言ってその窮地から救い出すことができない。

マジョリティの中で必死で擬態し何とか保っている自分や家族が危機に陥ってしまう。

だからマジョリティの隅で自分の口を噤み、目を瞑り、耳を塞いで時が過ぎるのを待つ。

またはマジョリティの中心に率先して立ち、強者のフリをして弱者を攻撃する。

そうやってどうにか自分の心身の安全と安定を図る。

本当の意味で弱者を助けられるのは強者なのだ。

マジョリティである自覚すらない弱者から見た強者であることに

強者自身が気づく必要がある。

 

自分が普通である、標準の範囲であることはそれほど意識が向かない。

たいして自分が困っていないことは全てマジョリティの中にいるということ。

私はマイノリティを集約したような人間だから

多勢から一人弾き出されたような危機を感じることが多い。

それでも考えてみれば標準の範囲内であることもちゃんとある。

例えば身長は気に悩むほど低くも高くもない。

でも集団の中で目立つ人はマイノリティだと感じる人もいるだろう。

そうして人はあらゆるカテゴリーでマジョリティになりマイノリティになる。

マジョリティにいるカテゴリーが多い人は

安心しているし、人を信頼できるし、他人を頼ることができる。

私は他人を信頼しきることが非常に難しい。

いつ自分が多勢から弾き出されるかわからないから。

 

マジョリティは無意識で自他境界線を越えてマイノリティの領土に土足で踏み込み

マイノリティは無意識で自他境界線を越えてマジョリティの領土も自分のものと考える

結局、本当はどちらも境界線を曖昧にしたいのだ。

自分がマジョリティかマイノリティかを意識した途端

存在の危機感を感じてしまうが故に

自分の領土を広げたり、他人の領土を共有しようとしたりする。

 

完全に違いや多様性を認め合った共生社会を実現できる世界は不可能だろう。

しかし、近づいていくことはできる。

どのような心身の特徴があろうと社会的不利を被ることがなくなり

誰もが生きたい場所でしたいことをする権利が法的実質的に確立すれば

差別意識もいじめる必要性も無駄な競争も減らしていける。

むしろ、他人は自分一人ではできないことを補い助けてくれる存在であり

違いがあればあるほどありがたい存在だと心底思えるようになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

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脳が慢性疲労だ

悪魔に睡眠を支配されてから始まったもう一つの人生

それは現実の人生では味わうことができない心の奥に閉じ込められた私の理想郷

現実と並行して進行している

 

アパートの和室でベビーベッドに寝かされいるあの場面からスタートし

今では現実と同い年のもう一人の私がもう一つの人生を送っている

設定のディティールまで現実と遜色がない

もう一つの人生にはもう一つの人生の過去があり人間関係がある

 

理想郷で生きる私は

大勢の人達と共に暮らしている

血の繋がりや年齢や生まれた土地やバックグラウンドもバラバラな人の集まりで

何にも縛られず出入りも自由だ

 

比率も権利も男女が平等な世界

お金やセックスから解放された世界

ただそこにいたい人がいる世界

そこで毎回数多の出来事を体験する

現実ではできないようなしたいことをして言いたいことを言っているのかもしれない

心の奥の無意識下で望んでいる姿なのかもしれない

 

一見すると、毎日何時間も理想郷にいるとは幸せじゃないかと思われるかもしれないが

私自身はそうは感じられない

 

二重の人生を生きると困難な方、私で言うと現実の人生が無意味で空虚になる

どうしても二つを比較し、もっと良くなるはずだという幻影が拭えない

人生がずっと霧がかっていている

人生の全部が待ちの時間だ

ひたすらに耐えながら何かを待っている

何を待っているのか

並行する現実と理想郷が交わる瞬間だ

全く違う二つの人生が溶け合い

現実の延長線上に自然な成り行きで、しかも早急に実現する時を待っている

だから起きている時間は静かな空間でとにかく自分の思考に触れていたい

不可能だからこそ考え整えていたい

現実の人生を生きるための精神的物理的材料を集めたい

理想郷を見せられれば見せられるほど自分をしっかり繋ぎ止めねばならない

 

私の脳は24時間フル稼働だ

入眠という臨死の恐怖を超えると

明らかなまがい物の人生が何食わぬ顔で連綿と繰り広げられ

それに騙されたフリをして俯瞰から見ながら待ち

一方で必死に体に「起きろ!」と指令を出し

汗と涙と動悸と共に目を開ければ

架空の未来に心を奪われないように思考を巡らせる

 

脳が慢性疲労

やめたくともやめられない

 

 

 

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睡眠が悪魔に支配された日 ー悪夢のマトリョーシカー

あれは小学校1年生の夏休みだった

私にとって睡眠は悪魔の時間と化した

 

私は生まれ変わりたいのではなく

この苦難を味わう自分の意識を保ったまま別の体を手に入れたいのだと自覚した

 

完璧な体に交換したい

この自分の意識を保ったまま永遠の時を過ごしたい

死にたくないとは似て非なるもので

体よりも意識を失いたくないという非常に強力な衝動が生まれた

 

 

真夏の陽射しがギラギラと照りつけたある日

私は母親に連れられ遠戚の葬儀に参列した

私の記憶は告別式のある瞬間から鮮明にそして強烈に脳に刻まれている

それまでは遠くから見ていた故人が眠る棺を

数人の男性が祭壇の前に運び蓋が開かれた

私は母親に言われるがまま棺に近づいた

他の参列者も皆、棺に近寄ってきた

故人の配偶者は憔悴しきっていて家族に支えられながら歩み寄り

故人の顔を見ると涙が溢れ出し、ハンカチで目頭を交互に押さえた

司会者の声掛けで次々に花を手に取っていく

私も白い菊の花を1本手渡された

故人の身近な人達から順に棺の中に花を手向けていく

すすり泣く声が増え始めた

やがて母と私の順番が来て棺に向かって数歩前に出る

 

一切の赤みを失った若い男性が横たわっている姿が目に飛び込んできた

 

人生で初めて遺体を実際に見た瞬間だった

その亡骸は顔や手指にいたるまで黄色人種の肌の色を隠すほど紫斑に覆われていた

故人は白血病に罹り闘病の末に亡くなった方だった

まるで脳を撃ち抜かれたかのようだった

私の中の時が止まった

あまりの衝撃と恐怖に身震いがした

私は何故かそれを必死に隠さなければならないと思った

周囲にバレてはいけないと思った

なんともないフリをして私も遺体の上にそっと白菊を置いた

白菊の花は誇らしく形を保ち、菊と葉は深い緑が堂々と真っ直ぐに伸びている

それなのに白菊達も目の前の男性も内側の流れはもう止まってしまっているのだ

暑さとは明らかに違う汗が背中を流れ落ちた

参列者全員が花を納めると再び先ほどの男性達が棺に近づき蓋を閉めた

そして更なる衝撃がこの身を襲った

棺に釘を打ち始めたのだ

耳の奥、頭に響くくらいの大きな音に聞こえた

もう何も考えられなくなった

配偶者のすすり泣きが号泣へと変わった

それをきっかけに周囲の泣き声も音量を増した

棺は持ち上げられ霊柩車へと運び込まれていった

葬儀には私の他にも同年代の子ども達が数人参列していて

それまでキャッキャと遊んでいたのに

それ以降は空気が一変した

その中の一人が「変なものを見ちゃった」と呟いた

そんな言い方をしてはいけないと思ったが

その子の謂わんとすることは十分に理解できた

 

普段から口数の多い母親は帰りのバスの中でもなんだかんだと言っていたが

内容は一切入ってこなかった

大きな香典返しを抱えながら帰宅しリビングに入ると

二人とも腰が抜けたように床に座り込んだ

「疲れた」の一言しかこの日の母親の声は覚えていない

テレビをつけると当時流行していたキョンシーが放送されていた

それまでキョンシーを見るのを避けていた私だったが

チャンネルを替える気力も起きず放心していた

キョンシーも怖いけどその日見た光景はもっと怖かった

 

その日からだった

私は眠りにつくのがとても難しくなった

病弱でしっかりとした睡眠時間は欠かせないし体も疲れているのに

布団に入ると目が冴えて眠れない

眠りに入っても悪夢に酷くうなされる

睡眠が悪魔に支配された

6歳のあの夜から42歳の今もそれは変わらない

 

布団に入ると自分が遺体になった気がする

その後に来る入眠は我という意識が消滅する瞬間なのだと錯覚する

死後をリアルに想像してみる

無論、それが合っているかなんてわからないのだが

目を閉じずとも脳に映る景色が消える

そこには永遠の無が広がる

意識は消えたはずなのに

計り知れない恐怖と不安が何tもの塊となって胸を圧し潰す

私は我を失い絶叫してしまう

それを何度も何度も数時間にわたって繰り返し、やっと眠りにつく

 

入眠すると

今度は脳がもう一つの人生を映し出す

夢の中に人生が在る

あるはずだった、完璧な体なら手に入れるはずだった可能性という悪夢

 

アパートの和室の中心に置かれたベビーベッド

そこに生まれたばかりの私は寝かされている

ベッドの両脇には若い夫婦がにこやかに愛おしそうに私を見ている

本当の私の両親だと知っている

同時に、そんなことはあり得ないし、これは夢だし、

現実の私は1歳まで病院を出られなかったし、実家は初めから一軒家だとも思っている

 

直ぐに私は悪夢から覚めようとする

疲れた体はそう簡単に目覚めてはくれない

しかし脳は覚醒していて体に指令を送る

「目を開けろ!早く!急げ!!」

体は全く起きようとしない

脳は焦る

そのうちに起きたような錯覚が始まる

部屋が見える

起き上がっていつものような生活を送っている

そのうちに「あ、私はまだ起きていないんだ」と気づく

夢のまた夢、悪夢のマトリョーシカ

それを何周も繰り返し

「もういい加減起きてくれ!!」

そう脳が懇願すると

晴れた昼間に私は立っていて、目の前には一人のお祖母さんが立っている

二人しかいない空間

全ての人類が滅んでしまった後みたいにこの世には私とお祖母さんの二人しかいない

お祖母さんは私の未来の姿だ

お祖母さんは一人きりで旅立っていく……

 

大量の汗と涙、そして絶叫と共に視界が開ける

 

 

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